葵祭の日程は?起源は?~京をいろどる平安貴族のお祭~
葵祭は、祇園祭・時代祭にならぶ京都三大祭の一つで、毎年5月15日に、京都の下鴨神社と上賀茂神社で行われる例祭です。絵巻物さながらの平安貴族の大行列が京都の街を彩る、古式ゆかいしいお祭です。人々の装束や、牛車、牛馬にいたるまで、葵で飾られることから「葵祭」とよばれます。
葵祭の起源は?
その始まりは古く、なんと飛鳥時代にまでさかのぼります。
約1400年前、欽明天皇(聖徳太子の祖父にあたります)の時代、
激しい風雨に見舞われて起こった大凶作が賀茂の神の祟りとされ、
それを鎮めるために天皇の勅令で行なわれた祭礼が起源といわれています。
平安時代には宮中の重要行事となり、
『源氏物語』にもその様子が描かれています。
1467年の応仁の乱で一時中断されましたが、
江戸時代に再興され今にいたります。
一時中断されたものの、平安時代頃の文化が今もそのまま受け継がれた伝統的で雅なお祭です。
葵祭の内容は?
葵祭は大きくわけて、
『社頭(しゃとう)の儀』と『路頭(ろとう)の儀』の
二つに分かれます。
私たちがよく目にする大行列は『路頭の儀』です。
騎馬6騎を先頭にして、今の警察にあたる検非違使(けびいし)や、
役人、従者、行列中で最も位の高い勅使が列をなす《本列》と、
女官や巫女、行列の花である十二単を着た斎王代の
きらびやかな《斎王代列》で構成されます。
その行列は、計500名、馬36頭、牛4頭による
約1Kmにも及ぶ大行列にもなります。
京都御所を出発し、下鴨神社、上賀茂神社の順で、約8Kmの道のりを練り歩きます。
「社頭の儀」は、下鴨神社、上賀茂神社で行われる祭礼で、
本来の目的、つまりこちらがお祭のメインで、
勅使(ちょくし)が神前で祭文を読み上げ、供物や舞が奉納されます。
このお祭りの主役は、
『源氏物語』でも光源氏がつとめているように、
「勅使」なのですが、やっぱり一番きらびやかで注目されるのは、「斎王代」です。
この名誉なお役目に選ばれるのは、
京都でも名家のお嬢様と決まっています。
はっきりした選定基準は不明ですが、
お茶やお花の家元や、会社社長、料亭経営者を親にもつ、
京都で一二を争うお嬢様が選ばれます。
そもそも「斎王代」とは「斎王の代わり」という意味ですが、
「斎王」とは「賀茂神社もしくは伊勢神宮に、
巫女として奉仕した未婚の皇女」のことをいいます。
そう思えば、相応のお嬢様が選ばれるのは当然かもしれません。
それに、斎王代をつとめるためには何千万もの資金がかかるのだそうで、
庶民には手の届かないお役目なのです。
そういった意味でも、平安朝の貴族のお祭が脈々と受け継がれているのですね。